私はタイピングが早い。 らしい。

ピアノを四歳のときから習っており、特に理由もなかったのだがなぜかいつも本来の倍以上のスピードで弾いていた。なので、表現という面では最低だったと今にしてみれば思う。
そんなこともあって、初めてキーボードに触れたときにもそれほど違和感はなく、むしろ人より圧倒的に手を速く動かすことに慣れていたうえに小さい子特有の吸収の速さであっという間にブラインドタッチができるようになっていた。

その次の年にはパソコンが我が家にやってきた。父が会社の通信教育でなぜかプログラミングを勉強することになったのだ。ただプログラミングの練習のためのパソコンであったこともあり、このパソコンはプログラミングとそのプログラムを動かすことしかできないという、ある意味プログラミングの学習には最適の代物であった。
父がいないときはそのパソコンは私のものだった。もちろん、小学生であるにもかかわらず、父の通信教育の本を盗み見てプログラミングを学んでいった。最後までやりきってもたいしたものはできなかったけど。
もうこのころになるとタイピングにはなんの違和感もないようになっていた。

その後中学3年生にあがると同時に渡米、そこで衝撃を覚えた。

米国はタイプライターの社会、当然だれもが幼少のころからキーボードに触れている。タイピングがとっても早いはずの私は誰よりもタイピングが遅かった。そして彼らは私の知識をはるかに超えたプログラムを目の前で書き上げていくのだ。
英語が話せないというだけでも圧倒的に劣等感があったのに、得意であるはずのパソコンでも負けている。追い討ちをかけるように彼らは普通に我々日本人を差別する。

そんな劣等感を跳ね除けるため、せめて英語以外はなんとかしたいと思い、高校生のときにはじめてきちんとタイピングというものを習った。私が通っていた高校にはタイピングという授業があったのだ。
アメリカの高校は月曜〜金曜まで毎日同じ時間割。つまり半年間は毎日同じ授業を受けることになるのだ。そこで徹底的に基礎から練習した。タイピングというのはデスクワークのように見えて体でキーの位置を覚えるという極めて体育会系の作業だ。させるというみっちりと基礎からタイピングというものを習ったおかげで、いつの間にかプロタイピストの倍くらいのスピードでタイピングできるまでになっていた。劣等感を持って練習を繰り返した結果、クラスの誰よりも早く打てるようになっていた。

そんなわけで、かなり尻つぼみな手のスピード自慢でした。
私のタイピングの音で仕事に集中できない職場のみなさまごめんなさい。

それにしても今日はなんで「離婚弁護士」が22:30からなんだ。
一部の野球ファンのためにそれ以外の人の不便を強いないでほしい。
なぜ野球だけ延長してドラマやお笑い番組は延長しないわけ?
お笑いが盛り上がっていたら延長したらいいじゃん、チキショー!!

(本記事は以前別のblogにて与えられたテーマに沿って記事を作成するという企画で書いたものです。)