駄目人間のあなたの定義

今回与えられたテーマは「駄目人間のあなたの定義」です。

さて、このテーマ、どういう意味を指しているのか、いくつか考えられます。

(1) あなたが駄目人間であり、そのあなたによる何かの定義
(2) 私が駄目人間であり、その私による何かの定義定義
(3) 駄目人間ということのあなたによる定義
(4) 駄目人間ということの私による定義
(5) 「駄目人間のあなた」という言葉の定義
(6) 人間であるあなたの定義は駄目だ

おそらく4番でしょうから、それで進めます。ほかの理解を採用したほうが面白くなりそうな気もするが、まぁいいでしょう。ともかく、ここまでで250字以上稼いでいることが私にとっては重要なのです。いや、しかしあと150字しかかけないようなテーマなのでしょうか。結構たくさんかける気がします。もっとも、そんなことを書いているうちにこのコラムのルールで決められている「最低400字」に到達しそうな勢いなのですけどね。

さて、このテーマは駄目人間という言葉に関する各人それぞれの感覚について述べることを意図していると思いますので、論理的な説明は一切省きます。以下はすべて私の感覚を述べているに過ぎません。

まず、駄目人間とは優秀な人間ではないと考えます。優秀ではない人間には、単に能力がない人と、能力があるのにそれを活用しない人、能力があってそれを活用しているがそれ以外の行動により活用していることを帳消しにしてしまっている人間の3種類がいるのではないでしょうか。

おそらく「能力のない人」のことを駄目人間とは言わないでしょう。それは無能人間です。それ以外のほうが駄目人間という言葉がしっくりきます。

次に「能力があってそれを活用しているがそれ以外の行動により活動していることを帳消しにしてしまっている人間」ですが、これは私は馬鹿と定義しています。駄目人間とは違います。

残る「能力があるのにそれを活用しない人」に私が考える駄目人間が含まれます。これもさらに細分化されます。これは、本人が能力を生かそうと思っていない場合と生かそうと思っている場合があります。

能力を生かそうと思っていないというのは、その能力を生かすことより別のことに高い価値を感じている場合です。これはまさにその人の生き方であり、決して駄目人間ではありません。例えば中華料理の天才であるにもかかわらずイタリアンに魅せられた料理人などがこれにあたります。私の身近な例でいうならば、仕事もやればできるが趣味を優先させたい場合などです。

「本人が能力を生かそうと思っているがそれを生かしていない人」こそが私が考える駄目人間です。
こういうことをしたいと思っているのにもかかわらず、それをしない。いまこの一瞬は二度と訪れることのない一瞬であり、そして今後こういう事象を発生させたい(例えば××ができるようになりたい等)と考えており、その瞬間に立ち上がり行動を起こせばそれに向かって動くことができるくらいの能力は持っているにもかかわらず動き出さない。したがってその能力は生かされることはない。

生物は特定の行動を繰り返すことにより、その行動に用いる器官が発達します。逆に特定の行動を行わないと、その行動に用いる器官は弱体化します。運動しなければ筋肉が衰えるというのがわかりやすい例です。
ポテンシャルを持っていればそれをやりさえすればその能力は研ぎ澄まされていくのに、駄目人間はそれをやらずにいずれ能力もない人間、先に定義した無能人間と化していくのです。
駄目人間は取り返しがつかなくなってもそれをやろうとしないので取り返しがつかないレベルにまで落ち込んでいることにも気が付きません。自分はできると口だけで行動を起こさない人間はいずれ真になにもできない無能人間になるのです。

口だけの無能オヤジを職場でみかけたことがある人もいらっしゃることでしょう。その人を思い出してください。若いころにはきっとやる気満々、やればある程度できたのでしょう。しかしある程度力がついてくると面倒なことは若いヤツにやらせれば済むようになります。適当に怒鳴っておけば若いヤツが勝手に進めてくれます。本人はなにもしません。実際にはその過程において若者があらゆる知恵を出して結果を出しているにもかかわらず、オヤジは自分が怒鳴った結果だということで自分の手柄だ思い込むでしょう。しかし実際にはオヤジはなにひとつ行動していないわけです。いつしか本人はなにもできないようになり、口だけで若者に煙たがられるだけの存在となります。そんなオヤジはリストラ対象となり、真っ先に首を切られることとなります。当然です、そのときにはもう能力がなくなっているのですから。

おっと、余裕で400字を超えましたよ!

(本記事は以前別のblogにて与えられたテーマに沿って記事を作成するという企画で書いたものです。)