てるてる坊主

日本には昔からてるてる坊主という文化がある。いうまでもなく、翌日雨がふらないようにという祈りを込めて飾るものだ。

それにしても、こんなに意味のないものもないように思う。飾っているとなぜ雨がふらないという可能性があがるのか。強いて言うなら飾ることによって大気中の水分をてるてる坊主が吸い、それによりほんの少し湿度が下がり、そしてほんの少し雨が降る可能性が減るかもしれない。とはいえ、誤差ともいえないような微小なレベルであろう。

日本は工業大国だ。日本人ならもっと日本人らしく、科学に頼ったほうがよいのではないだろうか。
世界には雨降らせ機なるものが存在している。
日本経済の中心、東京都も降雨機というものを所有している。実際、東京都は雨不足の年にはこの降雨機を使用している。とはいえ降雨機はてるてる坊主とは逆の効果を及ぼすので、ここでは深追いはやめておこう。そもそもその機械を一市民の要望で動かしてくれるとは思えない。石原慎太郎がそんな要望に応えるはずがないし、東京都民としては、そんなことにいちいち応えてほしくない。

石原慎太郎に頼れないとなれば、その息子だ。そう、石原良純しかない。

てるてる坊主にお願いするよりは石原良純の天気予報をきいて、それを元に対策を練るほうがよっぽど効率が良い。雨がふる確率を元にリスク管理をするわけだ。雨が降った際に発生するコストを最小限に抑えるようにするのだ。まさにプロジェクトマネージメントである。なぜテレビ・新聞・インターネットなどで天気予報を知ることができるのに、なぜ日本人はてるてる坊主なぞに頼るのか。いや、てるてる坊主を作るような年代でプロジェクトマネージメントのことなんか考えないか。しかし、こういう考え方は幼少のころからてるてる坊主に頼るという文化のおかげで日本人の思考回路に組み込まれているように思う。

ところで、私はソフトウェア開発に従事している。この業界において、日本のプロジェクト管理は極めて幼稚であるといわれている。明確なプロジェクト管理をせずに、神頼みに頼るという点は、ソフトウェア開発のプロジェクトに酷似している。ソフトウェア開発という極めて論理的な仕事をしているにもかかわらず、仕事全体の進め方は運に任せているのだ。ソフトウェア開発におけるプロジェクト管理の幼稚さは、日本の文化そのものに諸悪の根源があるといえるだろう。
日本文化を守ろうとするのはよいが、自分の心地よい点、すなわち楽な点のみを残して海外の企業に負けていては日本の工業大国としての威厳は失われる一方だ。

(本記事は以前別のblogにて与えられたテーマに沿って記事を作成するという企画で書いたものです。)